失語症者の発語練習を通じた、
コミュニケーション能力及びQOLの向上をめざして
 八太郎山居宅支援センター
原 多貴子 ・ 佐藤 亜美
 はじめに

 失語症とは、一旦獲得された言語機能が、大脳の損傷によって低下ないし消失した状態である。原則として「聴く」「話す」「読む」「書く」といった言語機能の全ての能力が低下する障害である。1)
 失語症者にとって、思っていること、考えていることが相手にうまく伝わらないなど、言葉によるコミュニケーションに不自由さを感じ、引きこもりとなりやすく、残された能力を生かすコミュニケーションの環境そのものを失うことになってしまう。
 今回、介護現場における失語症者への関わりとして言語機能の改善のみに目を向けるのではなく、生活の場でのコミュニケーション能力の向上、さらに心理面をサポートしつつ、A氏の能力に見合った新しいコミュニケーションのスタイルや、コミュニケーションの関係を発見することにより、A氏と家族、他利用者、介護職員との関わりが増えるのではないかと考えた。全失語であるA氏との関わりの中で「言葉を発したい」という強い気持ちが伺え、日常生活の中での発話練習や家族へ向けた手紙を書くことにした。その結果をここに報告する。


 事例紹介
A氏、70代、女性、要介護度2
(1) 病歴 H18、6、8 脳梗塞(右片麻痺)、 失語症
(2) 家族構成 長男夫婦(H市在住)…キーパーソン
夫、娘(M市在住)
(3) 生活歴 M市病院の栄養士として20年勤務。
60歳定年後も臨時職員として働いていたが、脳梗塞で倒れてしまい、 
現在に至る。
(4) ADL 移動…車椅子移動
排泄…自立
入浴・更衣…一部介助
食事…自立
性格…我慢強い、プライドが高い、責任感が強い

(失語症のタイプ)
全失語 ・聴覚的理解 日常会話の範囲で、慣れた内容であれば、比較的理解良好。
・発話 自発語はほとんどみられず、唸声程度の表出。
高度の発語障害から、模倣も困難だが、挨拶や簡単な言葉はゆっくり一緒に言うことで模倣できるものがある。
・読解 文字理解は漢字が少しできる程度。実用性は低い。
・書字 筆談、五十音表の指差しはできない。
(重度の失語症だが、状況判断は良好で感情や認知、記憶などの問題はなし。)
                      2006.2.15 脳卒中センター退院時情報

 経過

発語練習を始めたきっかけ
 訪問介護に入った際、A氏が自分で書いたという名前を見せてくれる。その中で、病気になり言葉を話せなくなって辛いかを問うと、涙しうなずき、少しでも言葉を発することができるようになりたいという気持ちが聞かれた。
 家族の写真も見せてくれ、孫とは結婚してからはまだ一度も会っておらず、祝福の気持ちも伝えていないとのこと。気持ちを伝えるために手紙を書いてみてはどうかと問うと、涙しながらうなずき、今回の取り組みに至る。

取り組みにあたって
 まず、A氏の気持ちを理解することから始めた。
ここでの生活はどうか?→「いや〜」
ここは楽しいか?→「いや〜」
家がいいか?→「うん」
病気になって辛いか?→「うん」
話したいか?→「うん」
 A氏との関わりの中で、失語症になったことはもちろん辛いが、現在M市の実家を離れ、また家族と離れて生活をすることを余儀なくされていることが寂しく辛いという気持ちがよみとれた。
 本人、非言語的コミュニケーション能力も低く、相手にうまく伝わらない時は「いや〜」
と曖昧にしたり、笑ってごまかしたりする場面が多くみられていた。

全失語症者とのコミュニケーション手段 2)
1. 身近な実物や絵などできるだけ具体的なものを用い、表情やジェスチャーを併用して話しかける。
2. 話しかけは短くし、ゆっくり、はっきり言う。
3. 質問は「はい」か「いいえ」で答えられる形式にする。
4. 反応を引き出す際は言語だけに固執せず、言語以外のコミュニケーション手段を併用する。
5. 言葉で話したそうな場合には、先回りせずじっくり待つ。
6. コミュニケーションノートを利用する。                    

失語症者のできること・できないこと 3)
できること・得意なこと できないこと・苦手なこと
・意欲をもつこと、感情をコントロールすること
・筋道をたてて考えること
・相手を思いやり、対人関係を保つこと
・言われた言葉の意図を理解すること
・新しいことを記憶すること
・歌をうたうこと、絵を書くこと
・障害の自覚をもつこと
・思ったように話すこと
・聞いた言葉を復唱すること
・聞いた言葉をすぐに理解すること
・書かれた文字を理解・音読すること
・字を書くこと
・50音表の指差しによる会話

上記を参考に、以下のことを実践した。

実践した事と変化
実践した事 変化など
・発語練習(簡単な挨拶、本人の名前、会話ノートを使用しての単語、数唱) ・何度も繰り返す中で、挨拶は介護職員が出だしの言葉を言うと、続けて言うことができるようになった。模倣できる言葉、復唱できる言葉が増え、3月に初めて自発語「いち」がきかれた。
・数を数える事は比較的良好で、リハビリ中に小声ではあるが自発的に発声するようになった。
・復唱できる言葉が増える中で、「おはよう」を、「おやすみ」と言い間違えることもあった。
・練習を重ねると単語レベルから、文レベルの模倣も可能となった。
・書字(孫への手紙、なぞり書き) ・結婚されまだ一度も会ってないという孫に祝福の手紙を書く。職員の字を模倣してではあるが、3回に分けて少しずつ書き完成させる。(別紙参照)
・なぞり書きでは、1度目よりは2度目と、うまく書けるようになる。「わ」「ん」は苦手ではるが、「は」「ま」等のマルの部分は上手である。
・歌の練習(なじみのある歌) ・食堂で他利用者と一緒に歌い、他利用者との交流が増えた。歌を通しての発語は比較的スムーズに発声できる。
・数字ならべ ・1〜5、1〜10と並べられる数が増えた。11以降はやや難しい。
・電話 ・練習した言葉を並べ、介護職員の声を模倣し、一方的ではあったが、長文で家族への電話をかけることができた。

 実践中は、練習の意欲はあるものの、いざ行おうとすると、「いや〜」と自信がなさそうにし、消極的になる場面が多くみられた。また、発語等うまくできなかったときは、「はぁ〜」と溜め息をつくことも多かった。
 また、当初は他者の目を気にすることもあり、練習も居室等で行っていたが、徐々に居室外でも練習を行うようになる。
 孫への手紙を送った後は、返事をとても心待ちにしており、返事が来ると涙ぐみながら大変喜ばれた。

練習の頻度(平成21年9月〜平成22年3月)
 発話練習…訪問介護の時間を利用し、週3回程、1回に15分程度行う。
 挨拶…ほぼ毎朝。
 書字…半年で5回程、1回に15分程度。時間にゆとりがある時に行う。
 歌…4回程、1回に10〜20分程度。
 電話…2回。
※ただし、ディサービス後など疲労がみられる場合は練習を休むなど、本人のペースに合わせて行う。

実践後の生活の変化
・食事以外は居室で過ごすことが多かったが、食事以外でも、午後に居室から出てくる事が増えた。本棚に向かい本を眺めたり、新聞を眺めたりする姿がみられるようになった。
・他利用者との交流が増えたり、他者の話に耳を傾けたりと、コミュニケーションを図ろうとしている姿がみられるようになった。

実践後の気持ちの変化
・まだまだではあるが、ここまで発話できるようになった事に満足している。
練習では、頭が混乱したり言い間違えたりなど大変で、疲れてしまうこともあったが、練習が辛いということはなく、これからも継続していきたいと思っている。
・発声することで、ストレス発散にもつながっている。
・練習を通じて、他利用者、介護職員との関わり・コミュニケーションが増え嬉しく思っている。
・自分に目を向け障害を理解しようとしてくれて嬉しく思っている。
・家族となかなか会えない中で手紙・電話で関わりがもてた事を嬉しく思っている。本当は、もっと会いに来てほしい。再度、手紙等利用して、関わりを増やせたらと思っている。


 考察
 失語症者は、失語症になったことで、単に「言葉を失った」ということでなく、それによって自分に引け目を感じ、疎外感・孤独感を感じるようになることがコミュニケーション能力の低下につながるのではないかと考えられる。
 失語症は、一見、周囲からはその障害を理解されにくく、だまっていれば言葉に不自由があることはわからない。そのため、周囲の人は「たいした障害ではない。」と誤解しがちである。失語症者は、言葉を使えず非常に不自由な思いをしているにもかかわらず、その大変さを分かってもらえないという、二重の辛さを感じるであろう。??
 これまで介護職員自身も、失語症に対しての理解が乏しかった為、適切な関わり方をもてていなかった。そして、その様な環境の中では、本人の残存能力を活かす機会も見失ってきたのではないかと思われる。それが、今回、発語練習や言語による挨拶を交わすこと等をきっかけに、関わりをこれまで以上に多くもつことができ、「伝えたい」「話したい」という、本人の意欲を引き出すこができた。また残存能力を生かすことで本人の自信へとつながり、結果、言語・非言語的コミュニケーション能力が高まり、「発語」につながったのではないかと考えられる。
 また生活していく中で、楽しみや生きがいというものが非常に大切であり、他者と関わることがその一つでもある。特に、家族の存在は大きく、離れて暮らしているものにとって、面会や手紙、電話は家族とのコミュニケーション手段として有効である。今回、残存能力を生かしながら、様々なコミュニケーション手段を活用し、介護職員が本人と家族、両者の媒介的役割をすることによって、その機会を増やすことが可能となった。




 おわりに
 適切な言語訓練を受けても、だいたい三年ほどで回復はゆるやかになり、言語訓練は終了を迎える。しかし、その後、テレビを観たり、新聞を読んだりして言葉に多く触れた人では、そうではない人に比べ、長期にわたる言葉の回復がみられるといわれている。5)
 失語症のリハビリテーションの場合は、体の場合と異なり、本人が声を出したり話そうとしたりしないかぎり成立しない。また、コミュニケーションは、発語だけではなく、非言語的な表現からでも可能な為、失語症者と周囲の人がお互いに伝え合う工夫をすることが大切だ。こういった点より、リハビリテーションは病院の訓練だけでなく、その人の生活する場に根ざして行われる必要がある。また、生活の中で、趣味など楽しみを見つけること「QOLの向上」は「言語能力の向上」につながる。楽しいという気持ちが話そう、伝えようという気持ちを自然に起こさせるのだ。また、これらのことは失語症者だけでなく、高齢者にもいえることである。
 今回、取り組んだ結果として、A氏のQOLの向上・満足感に結びつくことができ、その笑顔がまた私たち介護職員にやりがいを感じさせてくれた。やりがい・喜びを感じることでまた介護職員のモチベーションの向上へもつながるのだ。
 また、言葉がでないのは障害が原因だが、笑顔がでないのは介護に原因があることが多いと介護アドバイザーの三好春樹氏は言う。
 失語症者が、話したい、気持ちを伝えたい等何かを望んだとき、それを実現できるかどうかは、受け取る側や環境も重要である。心を通わせ気持ちが伝わることで、今後も発語へと繋げていきたい。介護職員が、失語症への理解を高めて、言葉が不自由だからこそ、豊かなコミュニケーションを心がけ、今後の介護にあたっていきたい。


引用文献
 1)石川裕治:失語症,P10,建帛社,平成15年発行
 2)関啓子:失語症を解く,P80,人文書院,平成15年発行
 3)三好春樹:目からウロコ!三好春樹のまちがいだらけの片まひリハビリ,P93,主婦の友社,
  平成21年発行
 4)加藤正弘 小嶋知幸:失語症のすべてがわかる本,P92,講談社,平成18年発行
 5)加藤正弘 小嶋知幸:失語症のすべてがわかる本,P98,講談社,平成18年発行

※本人及び家族に同意を得て、本研究の事例概要とした。